子どもに「みんな仲良く」と言っていませんか?

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上田です。

ある日の公園で、

「ともだち100人できたら全部で101人だろ? 富士山の上で100人でおにぎり食べるから、俺ぼっち!」

という、どこかで聞いたことあるような会話が聞こえてきました。
何十年たっても、小学生はこの話題が好きですね。

まどみちおさんが作詞した「一ねんせいになったら」というこの歌は、今でも、小学校に入る前の子どもたちに大人気なのだそうです。聞いているだけでわくわくするような、本当に素敵な歌です。

でも、いざ小学生になってみると…。

「ともだち100人って、ありえなくない?」 と、当の小学生は言うのです。

子どもだけではありません、「ともだちをたくさん作ろう」とか、「みんな仲良くしよう」という表現は、今の保護者には好まれないのだそうです。子どもに、ともだちを作らなければならないというプレッシャーを与えるからという理由で。

小学校の黒板の上に貼られていた、あの標語、

「みんな仲良く」って、もはや過去のものになってしまったのでしょうか?

ともだちのともだちは、…敵?

小学校のお母さんたちと顔を合わせると、子どもの話をよくします。

主に、誰々と遊んだというようなことが話題に上るのですが、公園で学年の違う子どもや、小さい子たちと遊んでいたとか、隣のクラスの名前も知らない子が家に来ていた。なんていう話を聞くと、やっぱり子どもっていいなあと思います。

誰とでも遊べてしまう!

ところが最近は、どうも様子がおかしいのです。どういうことかと言うと、

「○○は、ともだちじゃないから遊べない」
「ともだちでもないのに話しかけてきた」

なんてことを平気で言う子どもたちがいるのです!

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そしてかなりの確率で、その親御さんがそれを肯定している。

ともだちのともだちは、ともだち!
…どころか、ともだちでなければ口もききたくないという考え。

これじゃあ、ともだち100人が有り得ないのも無理もありません。

他人に危害を加えずにはいられない子ども

お母さんたちとの会話の中で、真っ先に話題にのぼるのがこの問題です。

手が出てしまう子。

クラスが変われば、「○○は何組?」。
席替えをすれば、「○○の隣はだれ?」と噂になる。

この子たちの特徴は、

  • 誰かにかまってほしくてたまらない
  • 相手にしてもらえないので、注意をひこうと手を出す
  • 家ではとてもおりこう
  • 親は、わが子が暴力をふるっているとは思っていない

見てわかる通り、これは病的な問題ではありません。
幼稚園や保育園でよくあるような、言葉でうまく説明できないので噛んだり叩いたりしてしまったということでもありません。お互いさまではなく一方的なもの。

彼らは、誰かにかまってほしいのです。

みんなで仲良く遊ぶのではなく「僕と遊んでほしい」、「私のことを見てほしい」。

このようなタイプの子と、どのように付き合っていけばよいのでしょう。
クラスメートだから、無理にでも仲良くすべきなのでしょうか。

問題はとりあえず、ほおっておく

子どもの間違いを正すべき存在であるはずの大人が、方向を見失っている。

今は、そんな時代なのかもしれません。

それなのに、「みんな仲良くしなければならない」という義務感でわが子をしばりつけ、必死にそれを守らせようとする。そんな必要があるでしょうか。

暴力をふるったり、意地悪する子と、仲良くしなければいけませんか?
と、聞かれたら、

私は、自信を持って「NO!」と答えます。

嫌がらせに耐える必要も、間違ったことをする相手を更生させる努力をする必要もありません。

なるべく距離を置くようにして、ほおっておきましょう。

彼らの心理的な問題には、彼らの親が立ち向かうべきです。

私の子どもを、彼らの心の安定剤にするつもりはありません。
大きな問題ならば、直ちに先生や学校に相談して物理的に離してもらいます。

仲良くするつもりのない人とは仲良くできません。

それでも、みんな仲良くできる?

大縄跳びの話をしたいと思います。

近隣の小学校では毎年大縄跳びをやっていて、クラス対抗で回数を競ったり、クラス毎に設定した目標達成を目指して頑張っています。

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はたから見ると楽しそうですが、毎回かなりもめるのだそうです。低学年の場合は先生が先導してクラスをまとめますが、大きくなると子どもたちに全部任せられるので、泣く子も出るし、険悪な雰囲気になってしまったり、大変な騒ぎです。

「誰々が威張る」「真面目に練習をやらない!」「あいつがいつも失敗する」「怒鳴られるから怖くて跳べない」
大繩の時期に子どもたちの会話に耳をすますと、愚痴のオンパレードです。

クラスがまとまらないまま不完全燃焼で終わってしまったり、ときに残念な気持ちのまましこりを残して終わることもあるでしょう。それでも毎年続けていれば、必ずどこかで、

「やった!」とみんなで喜び合える瞬間があると思うのです。

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みんなで同じ喜びを分かち合うという奇跡みたいな瞬間。
そのときに感じた気持ち、その体験を、いつまでも忘れないでいてほしいと思います。

みんなが同じ目標を目指して一つになり、お互いの失敗を許し、喧嘩してまた仲直りする。
そんな体験をたくさんたくさん積み重ねていってほしいです。

…この大繩、なんと中学生になっても続きます!

仲良くするって、どういうこと?

仲良くするって、ともだちになることでしょうか?

「みんな仲良く」と言うとき、それは、全員とともだちになることを求めているわけではないと思うのです。家を訪ねあったり、休み時間に一緒にサッカーをすることだけが、仲良くすることではないのです。

仲良くするって、どういうことなのでしょう?

それは、相手の存在を認識することなんじゃないかと思います。

すれ違ったときに、「やあ!」って言える。
いつも一緒にいるわけじゃないけど、ときには一緒に何かを楽しめる。一緒に何かを頑張れる。

例えば、「あの子は誰?」と聞かれたときに、「○○だよ、サッカー上手いんだよ」と答えられる。そんな関係だって構わないのです。

仲良くするって、相手の存在を認めること。そして、仲間になれることなのかもしれません。

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たくさん、たくさん仲間をつくろう

学校の黒板の上に貼ってあった、「みんな仲良く」というクラスの目標。
それは義務ではなく、そうあってほしいという願いです。

みんなと仲良くするためにすべきこと、それは、

神経をすり減らすような相手と無理に付き合うことではありません。

それよりも、もっともっと広い世界に目を向けて、たくさんたくさん仲間をつくることではないでしょうか。

目の前にいる相手とだけ仲良くするのではなく、もっと教室全体を、隣の教室、別の階、学校全体を見渡してみたら…、あなたが仲良くなりたいと思える人が、あなたと仲良くしたいと思ってくれる人が、たくさんたくさんいるはずです。

学校で行われるクラブ活動、委員会活動、様々な学年の子どもたちと触れ合える縦割り活動。それから、地域の子ども会や、様々な習い事。

気ごころの知れた親友と二人きりで参加するのではなく、そんなコミュニティに自分一人で飛び込んでみる。そこには、たくさんの新しい出会いが待っています。

まとめ

まどみちおさんが、昨年の2月、104歳で亡くなりました。

「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」「ドロップスのうた」。

彼が書いた詩や歌詞を聞いたことがない人なんていないんじゃないかと思うほど、
たくさんの人に愛された詩人でした。

「ともだち100にんできるかな?」という歌詞には、
子どもたちへの、こんなメッセージが込められているように思います。

たくさんたくさん仲間をつくるんだよ!

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この記事を書いた人

上田

上田

好きな物は推理小説と映画。そしてネコです。ネコを飼い始めて3年になります。子どもの頃から憧れていたネコのいる生活。仕事を邪魔され、旅行はできず、時にはするどい爪でシャーっとやられる事も!それでも憎めないのです。

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