「子育てはできて当たり前」その思い込みから母親を解放してあげて
こんにちは、マメ子です。
こんなブログを読みました。
育児に疲れた
もう しんどい
投げ出したいめっちゃわかる。
私も何回泣いたかわからん。
母親なら、子育ての中で一度は思うことがあるのではないでしょうか。
泣くほどの思いで、毎日必死に子育てをしているお母さんたちの記事を目にすることは珍しくありません。
私は過去に幼稚園教諭を経験しましたが、いざ母親になった時に子育てができる自信などまったくありません。
まだ子どもがいませんが、このようなお母さんたちの気持ちを想像することはそれほど難しいことではありません。
このブログを読んで、ふと思い出したことがあります。
もう10年以上も前のことですが、大学4年生のゼミで先生にこんな質問をされました。
「女性なら、誰でも母性を備え持っていると思いますか?」
あなたならどう答えますか?
学生だったあの頃の私と今の私では、その答えはほぼ正反対です。
今改めて自分の答えを出した時、
「母性」という言葉が、実はお母さんたちを苦しめているのではないか・・・
と考えるようになりました。
母親なら子育てができて当たり前という決めつけ
当時の私は、この質問に対して「母性本能という言葉があるくらいなので、女性には母性があると思います」というような返事をした記憶があります。
おそらく、「母性は女性の本能として当然備わっているもの」と考え、このように答えたと思います。
子育て真っ最中のお母さんの中にも、世間一般にも、当時の私と同じような考えを持っている人が多いのではないでしょうか。
だからこそ、こんなふうに考えてしまうことはないでしょうか。
・なんで子どもを泣かせっぱなしなの?泣く子をあやせるのは母親なら当然でしょ。
・子育てが辛い?自分の子どもなんだから子育てはできて当たり前でしょ。
この「当然・当たり前」という考えの背景には、やはり「母性」の存在が感じられてしまうのです。
女性なら母性があって当然、だから子育てができて当たり前だと、無意識のうちに都合よく決めつけていたのかもしれません。
母性の存在を疑ってみる
もし女性に母性が備わっているのであれば、ほとんどの女性が子育てをもっと楽しく簡単にこなせてしまうはずです。
では、なぜ子育てに悩むお母さんがこんなにも多いのでしょうか。
子育てに悩むお母さんは母性が備わっていないから、女性として欠陥ということなのでしょうか。
それは違います。絶対に違いますよね。
事件になるような育児放棄や虐待に至らなくても、「子供を可愛いと思えない」「ついつい手を出してしまいたくなる」という感情は、どんなお母さんにも起こる可能性があります。
「時には手を抜きたい」「ずっと子どもと一緒にいるのは疲れる」と思うことはとても自然なことなのです。
母性はあるかもしれないけど、ないのかもしれない
私は「母性」の存在そのものを疑っているのです。
母性に頼らない子育ての考え方
冒頭の質問に今の私が答えるとしたら・・・
「母性はないかもしれない。もしあるとしたら、それは子どもが生まれてから芽生え、時間をかけて育つもの」
と答えます。
このように考えさせてくれた言葉があります。
「生理的早産」という心理学用語です。
ポルトマンが唱えた説。人間は動物学的観点から見た場合、他の哺乳動物の
発育状態に比べて、すべて約1年早く産まれるとして、人間の誕生時の状態を
生理的早産と言い、また乳児期を子宮外胎児であると述べている。人間は未熟な
状態から成熟しなければならない大きな部分を残した可塑性に富んだ存在であると
位置づけている。引用元:生理的早産
この言葉を私なりに解釈すると、これまでの「母性」の考え方を変える2つのポイントがあります。
- 母性がなくても子育てはできる
- 母性は子どもと一緒に育っていくもの
人間の子どもは、他の動物よりも未熟な状態で生まれ、ご飯やトイレなど、生きるためのすべてを母親に強く依存します。たとえ自分の子どもであっても、あまりにも未熟なため、母親にもわからないことばかりなのです。
「母性」という本能だけでできるほど子育ては甘くありません。子どもを産んだらそれだけで母親になれるわけではありません。だから母性はもともと存在しないのかもしれないし、なくても問題もないのです。母性がなくても子育てはできるのです。
人間の子どもが未熟な状態で生まれてくるのは、複雑な環境に柔軟に対応し、成長する可能性を秘めているからです。未熟な子どもが成長するために長い時間が設けられているのであれば、それはお母さんにとっても同じこと。母親として成長するために与えられた時間であると捉えることができます。
もし母性があるとしたら、女性の機能としてもともと備わっているのではなく、子どもとたくさんの時間を過ごし、悩み、経験し、学び、一緒に成長していく中で徐々に芽生えて育っていくものなのです。
母性が女性の本能として備わっていることを完全に否定することはできませんが、それは母親の育った環境や経験によって個人差があるものだと思います。
それならば、目に見えない母性に期待するのではなく、母性に頼らない子育てを考えてはどうでしょうか。
「母性がなくても子育てはできる、母性は育っていくもの」
こんなふうに考えることができたら、子育てはもっと社会に受け入れてもらえるような気がします。
周囲の理解がお母さんの心の負担を減らす
まずは、子育て中のお母さん自身が「母性」の考え方を変えることが大切です。
しかし、それ以上に必要なのは、お母さん以外の周囲の人の考えが変わることだと思います。
そうすれば、母親に向けられる子育てへの過剰な期待が減り、精神的に救われるお母さんがたくさんいるのではないでしょうか。
どんなにお母さん自身がそう思っても、周りの人の理解や協力がなければ子育てはとても窮屈なものになってしまいます。
電車で子どもが泣いていたら、そんなお母さんを見かけたら、少しだけ母性のことを思い出して下さい。
「子どももお母さんも頑張って成長しているんだな」と思うだけで、暖かく見守ることができるようになるのではないでしょうか。直接何かをしてあげることは難しいとしても、いい意味で「無関心」でいるだけで、お母さんの心の負担を減らすことができると思います。
母性の考え方が変わると、お母さんの気持ちが軽くなるだけではなく、周囲の人の気持ちまで自然と優しくなるのかもしれませんね。
まとめ
あの時のゼミで、先生のお考えを聞くことはありませんでした。
でも、先生の考えは今の私に近いものだったのではないか、そんな気がしています。
今回「母性」について考え、私自身の励みになりました。
マメ子は思ふ。
「考え方を少し変えるだけで、いつもの景色が違って見えるかもしれない」
また書きますね。マメ子
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この記事を書いた人
更新情報はツイッターにていち早くお知らせします。
@hatara_sodaさんをフォロー「母親なら誰でも子育てが出来る」こういう考え方を持った人はけして少なくないのでしょう。だからこそ、「できるのが当たり前だ」という重圧に潰されてしまいそうになることもあるのだと思います。
そんな周産期女性をケアする専門の看護師さんもいるようです。育児に悩んだときに、専門家に相談して適切なアドバイスを貰うという選択も存在するのです。
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